読書百遍〜はウソか?
2010年 03月 05日
私は昔から勉強といえば「読書百遍意自ずから通ず」という主義を貫いてきた。百遍どころか、わかるまで千回でも一万回でも一億回でも読め、そうすればわかるさ、といった感覚で勉強してきた。わからないのはわかるまで勉強しないからだと主張してきた。わかるまでやれば必ずわかる、わからないのはわかるまでやらないからだ、というのが信念であった。
しかし、年齢を重ねるに従い、そのような勉強方法では時間がいくらあっても足りないという感を強くするに至った。最近では、一遍読んでわからないのは、書いた奴が悪いのではないか、と疑い始めている。
そうだ、書いた奴が悪いのだ。そう考えれば話は早い。わかるところだけ習得し、わからないところは別の書籍を読めば良いのだ。そして別の書籍でもわかるところだけ習得すればよい。
この方法の良い所は、あまりストレスが溜まらないという点にある。しかも効率がよい。ただ大きな欠点がひとつあり、それは書籍を山ほど購入しなければならなくなるということだ。なにしろ、読んでいてわからないところは別の書籍に譲るわけだから、疑問が疑問を呼ぶと次から次へと書籍を購入し続けなければならない。こうなるとお金がいくらあっても足りないということになる。つまり、時間をお金で買うという発想だ。おそらくこれが中年からの勉強方法ではないだろうか。「読書百遍〜」というのは、お金はないが時間と体力はあるという若者向きの勉強法だと思う。
中年からは「書籍百買意自ずから通ず」かもしれない。
しかし、年齢を重ねるに従い、そのような勉強方法では時間がいくらあっても足りないという感を強くするに至った。最近では、一遍読んでわからないのは、書いた奴が悪いのではないか、と疑い始めている。
そうだ、書いた奴が悪いのだ。そう考えれば話は早い。わかるところだけ習得し、わからないところは別の書籍を読めば良いのだ。そして別の書籍でもわかるところだけ習得すればよい。
この方法の良い所は、あまりストレスが溜まらないという点にある。しかも効率がよい。ただ大きな欠点がひとつあり、それは書籍を山ほど購入しなければならなくなるということだ。なにしろ、読んでいてわからないところは別の書籍に譲るわけだから、疑問が疑問を呼ぶと次から次へと書籍を購入し続けなければならない。こうなるとお金がいくらあっても足りないということになる。つまり、時間をお金で買うという発想だ。おそらくこれが中年からの勉強方法ではないだろうか。「読書百遍〜」というのは、お金はないが時間と体力はあるという若者向きの勉強法だと思う。
中年からは「書籍百買意自ずから通ず」かもしれない。
by utremi
| 2010-03-05 23:23
| 日記